2020年04月10日

人の「生きる」定義

 俺の姿が透明に!?は、亜芽をクリアして、琥珀ルートも半分、までは行ってないかな、くらいまで進めました。

 亜芽ルートは期待通りの流石の安定感と丁寧さで、しっかり全体の設定を踏まえた上で構築されているのがよくわかるし、それを上手く利用しつつ、亜芽というヒロインなりの着地点を見せられているのではないか、と感じます。
 亜芽の主人公に対する贖罪意識は、おそらくあの事故からずっと、主人公が事あるごとに自由に生きられない様を見続けてきた事で蓄積されたものではあり、作中で言及されているように、主人公とは質の違う形でのトラウマ、と化しているのだろうな、というのは確かで。 
 元々主人公に対してだけはつんけんしてしまう気質も相俟ってのああいう関わり方、自己犠牲を孕む献身性に転化してしまうってのは、だから突飛ではあるけれど、土壌をきちんと把握すれば頷ける所ではあり、ただその根源となった事故の全貌や前後の経緯は、このルートをクリアしても未だ曖昧なので、その辺りは片手落ちというのか、もしくはチトセルートでの鍵だからあえて触れられないのか、そこは検証が必要でしょう。

 ともあれ、純粋な恋人となるためには、互いが抱えたトラウマと対峙し、少なからず前向きな、それこそ内発的な「生きる」意志を発現しなくてはならない、というスタートからの、段階的なプロセスを踏んでの解決への流れは流石の丁寧さとバランスの良さですし、それと同時並行して、きちんとこの作品全体のトリックである透明化の本質と、その危険性も伏線を引いてあるのは妥当でした。
 おまけに、その事態が発覚しての解決の為のアプローチとして、きちんと七夕莉の特質もその為の一助として機能させているのが、いかにもらしいところです。
 実際のところ、七夕莉自身のルートでは、その前提的な絶対記憶力にプラスして愛の力、みたいなニュアンスもあったので、親愛レベルでもそれは発現するのか?というあたりの検証・検討は必要だと思いますが、少なくともそれが外的要因である限り、それをほぼほぼ無視していた冬羽ルートがやっぱし癌なんだよなぁ、という感覚にはなりますね。

 ただし、七夕莉の場合はその記憶力を基軸として、出来る限り他者の認識の中に主人公を固着させる、というのが回復のアプローチであり、それは人が自己認識のみならず、他者の認識の重ね合わせで生かされている、という証左になるものです。
 でも物語の多様性として、ここでもそれをなぞるわけにはいかないですし、あくまでもそれは亜芽が亜芽なりの解決を見出すための支えとして、という位置づけに留めているのは賢明で、では自己認識においての生きる定義とは?となると、少なくともこの作品においてそれは、トラウマの克服とかなりの部分で重なり合っている、と見做せる筈で。
 まだ途中までしかやってないので確かな事は言えないけれど、琥珀ルートってその、トラウマ克服が本軸になっているっぽいので、亜芽というヒロインはその両軸のいいとこ取りをして、複合的な解決を目指すルートだった、と言えそうですし、相変わらず保住さんは一番めんどくさそうなところ押し付けられてるんだなぁ、と苦笑いしてしまう部分でもあったり。。。

 ともかく、そういう大枠のお約束を、大きな齟齬なくしっかり守った上で、きちんと亜芽というヒロインの魅力も引き出していて、そりゃ爆発的に面白い、とは言わないけど、このルートで求められているものはしっかり埋め込んだ、職人技がきっちり光っているルートだったかな、というイメージですね。
 その価値は多分全ルートクリアすればより明快になると思いますし、その辺は感想で、というところでしょうか。
 でわでわ、琥珀ルートの続きやってきまーす。しかしホントくっっっっっそ可愛いな琥珀!!

posted by クローバー at 17:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする