2017年04月06日

水葬銀貨のイストリア

 紙の上の魔法使いが鮮烈な面白さだったし、今回も多少毛色は違うな、と感じつつやっぱり体験版がかなり面白かったので、細かい部分は目を瞑って抑えておこう、と。

シナリオ(23/30)

 その涙の持つ意味は。

★あらすじ

 人魚の伝説が生きる、水の都・アメマドイ。
 この町は、かつて現存した人魚姫に対し、その涙が治癒の力を持っていたことで人間が無体な搾取を繰り返した上に泡と消してしまったという罪の歴史を持っていました。
 そしてその罪故、死した人魚姫の最後の呪いによって、この島の人は涙を流すという行為を封じられ、彼女の好物だったと伝えられる水葬銀貨と呼ばれる林檎をいくら備えても、その現実は変化せず今に至っています。
 
 そんな島で生まれた主人公は、過去に数多の苦難に直面し、どうしようもない現実の不条理をこれでもかと味わう中で、結果的に自らが引き起こしてしまった不幸に対して強い罪悪感と贖罪意識を持って生きてきました。
 周囲から後ろ指をさされ、数少ない理解者である幼馴染の小夜や妹の夕桜もどこか突き放したように扱って、あくまでも自分の身を削ってその贖罪を果たすことに文字通り命を懸けており、しかしその誠心もまた、社会に蔓延る様々な悪意に絡めとられ、利用されて、中々に上手く前に進むことが出来ません。

 いつしかそんな日々に倦んでいたのか、これ以上他者を疎外し孤独の中で生きることに疲れていたのか。
 ある日の帰り、公園でたまたまに出会った、眩しいくらいに愚直に正義を標榜し、憧れを隠さない少女・ゆるぎの姿に、心の奥深くで何か触発されるものがあり、そして彼女とクラスメイトの和奏が危機に陥る中で、自らが生きるために磨いてきた武器を使ってそこから救い出して。

 そうして訪れたささやかな日常の彩り、変化は、そこから更に加速していきます。
 またある日、仕事の帰りに通りかかった路地裏で、何故かゴミ箱に身体を埋めている女の子を発見します。
 どう見ても訳ありな様子に危機意識を募らせるものの、彼女が持つ純粋な瞳と、率直な助けを求める言葉を無視できずに、家に連れて帰って。
 案の定その少女・玖々里は、隔離施設から逃げ出して誰かに追われている身の上のようで、当然のようにその処遇を巡っては悶着があり、蛇が絡みつくような周到さ、残酷さで、主人公につらい選択を余儀なく迫ってきます。

 軋む心を踏みつけるようにして非情の決断を下し、本来の目的に邁進する覚悟を定めた主人公に対し、玖々里はそれでも一心に彼を信じる気持ちを失わず、その苦しみに寄り添ってくれて。
 そして彼が戦いに敗れ、深く傷つき疲れ果てた夜に現れた彼女は、この島では誰もがその存在を知らない涙を流して、彼の傷をたちどころに癒してみせたのです。

 現代に蘇った人魚姫。
 その存在は、今のこの島の隆盛、支配者のありようにも深くかかわる秘密であり、それを知ってしまった事で、主人公は更に大きな陰謀・事件に巻き込まれていって。
 以前よりも少なからず護るものが増えてしまった主人公に取って、それはあまりにも過酷な現実ではありながらも、挫けることなく最善の未来を目指して立ち向かっていく中で、否応なく過去の自分にも向き合うことになっていきます。
 それは主人公に限った事ではなく、誰しもが吹き荒れる悪意の中で自分の在り処を見つめ直し、少しでも恥じない生き方を、正しい生き方を求めていくことになります。

 果たして人魚姫とはいかなる存在なのか?
 その涙の力と、それが発現する意味とはなんなのか?
 跋扈する悪徳の嵐の中で、彼らはその尊さ、美しさを守り抜くことが出来るのか?

 これは、可視化・具象化された善良なる思いの力を背景に、人の本質を鋭く明け透けに抉った、挫折と狂気、そこからの再復と正しき絆のありようを綴った物語です。

★テキスト

 前作同様に散文的で、勿体ぶった言い回しと、人の心を掻き乱す文言、台詞が跳梁跋扈し、いい意味でも悪い意味でも読み手を惹きつける力を持っている読み口だと思います。
 ただ前作においては、如何に刺々しさが強く出ていてもその本質的には悪性は薄かったのに対して、今作はかなり徹底的に悪の論理、精神性を掘り下げる内容になっていて、それ故の胸糞悪さ、救いのなさがより如実に全体の雰囲気に寄与している感じはかなり強いです。

 元々演出面の不備もあるとはいえ、コロコロと奔放に視点キャラを切り替えて、それを一種のギミック的に用いている狡さがあるのですが、今回はよりその傾向が強く、切所においてはこれが誰の思考なのか、と勘案するだけで時間を取られる始末です。
 文章的にもそこで、一般的なヒロインビューとかだと視点キャラを事前に提示したり、或いは語り口でそれを判別できるようにするのが基本ですけれど、敢えて中性的な叙述、語りに徹するのがいやらしいというか、その辺は本当に読みにくくわかりにくく、おそらく二周プレイしてはじめてあぁ!と思うところも多々あるでしょう。
 実際体験版プレイした時点ではわからなかったのが、二周目でなるほど、ってのはかなりあったので、その点では全く親切さがない設計です。あと、前作もそうでしたが相変わらず誤字脱字は乱舞しまくりで、それが読みにくさに拍車をかけています。

 先が気になる引きの巧さ、回りくどさのバランス感は流石、とは思うのですが、今回は読んでいて辛すぎる部分も前作を遥かに凌駕して多かったですし、題材というか、緊迫感を伴う状況の大半をギャンブル的な要素に頼っているのもあるので、前作以上に人を選ぶ感は強いですね。
 本当に悪意の発露、善人を追い詰めていく手練手管の悪辣さは際立って見事ですので、良く取れば一見の価値はある、悪く取れば本気でイラつくので処方注意、というところです。

★ルート構成

 構成として考えると、ほぼこの作品は一本道、と見ていいのだと思います。
 主人公達が踏むべき正道、というルートがあるのですけど、それに至るにはその正道を諦めて、心の傷や隙間風を抱えつつも、掌中に残ったささやかな幸せを大切にしていく、という形でのヒロインルートをクリアする必要がある、という、中々にニッチな仕掛けになっています。見方によってはヒロインルート=バッドエンド的な感じすらあります。

 選択肢自体もかなり長い道中の中でふたつみっつしか存在せず、かつ最初の一個で上で触れたヒロインルートへの脱落が強制的に選ばされるという仕様になっていて中々に尖り切っています。
 文字通り選択する、というより切り捨てる、と呼んだ方が適切な選択肢であり、無論それはシンプルな恋愛譚でもその一面はあるのでしょうけど、これは如実にそう思わせるだけの仕掛けがあるので中々に辛辣です。
 そんな残酷な選択をヒロイン分繰り返すと、ようやくメインのトゥルールートに至る選択が追加で提示されて、そこからバッドエンドの罠を掻い潜っていく、という型式ですね。

★シナリオ(大枠・個別)

 護りたいと思えるものが増えるのと比例するように、島全体に蔓延る悪意の蔦、陰謀の数々とも対峙せざるを得なくなる、という非常に皮肉な構図を、過去の因縁とも密接に絡めて紡いでいる枠組みそのものは、中々にいい出来だと言える作品です。
 前作の紙の上に比べると、ややミステリー的な要素は薄れていて、大どんでん返しとか驚愕の真実、という方面での凄みは足りない、少なくともしっかり理路を追い掛けていれば事前にその仕掛け、結論についてはしっかり把握できる構造になっています。

 その代わりに今回は、前作以上に様々なテーマ性というか、人間という生き物の度し難さと美しさを多角的に見せよう、としているイメージが強かったですね。
 紙の上ではそれを恋、愛情というファクターにほぼ絞り込んでの展開でしたが、今作はそこで提示した観念をも下敷きに、善悪の本質、そして人魚の涙に仮託しての他者を愛する事の正しきありようを披瀝している、そういう風に感じました。

 全体的にその分だけイデオロギッシュであり、タイトルからして人の愚かさの歴史を辿る、というようなイメージを明確に打ち出しており、変わらずエンタメ成分も強い、とは思いますが、前作程のカタルシス、破壊力には届いていないかな、と感じましたね。
 特に、本当にこの作品では舞台を引っ掻き回す悪人が、徹頭徹尾度し難い、決して相互理解が不可能と思わせるレベルでの純粋悪なので、ラスボスではもう少しマイルドな、そういう風になってしまうのもどうしようもないのかな?と思わせる理由づけがあっても、流石に中和しきれてないだろ、と、そのしこりが傾倒しにくい一因にはなっていると思います。

 そして、上で触れたように基本的にヒロインルートは、なにかしら大切なものが欠けた上での物語になります。
 その根底には諦観が蔓延っており、あの時点で主人公が諦める、という事が思想的にいかなる意味を持つのかは後述しますが、その後の展開も表面的には穏やかさを取り戻しつつ、けれど失ったものがもたらす歪に改めて苛まれる、という側面も持ち合わせていて、さやかな幸せの中にも痛みが強く打ち出されています。

 特に祈吏が関わってくる流れでの、なにか取り返しのつかないものを失ってしまった故の哀しみ、虚無感は色濃く、これはこれで物語として面白さはあって楽しめましたけど、やっぱり諸手を上げてこれで良かった、とは決して言えないものではありましたね。
 恋愛的な素養に関しても、特異な状況の中での必然、として、およそそこまでの流れの中で担保されているので、主人公の気持ちがそこに追いつけばまぁ、という感じで、取り立てて深みや、キャラ固有のきらめきが強く打ち出されている事はないと感じます。

 なので、全体像の中ではどうしても、これはこれで、と棚上げして考えるしかない部分であり、一応設計的には人魚姫の涙、というファンタジー要素はあるものの、ヒロインルートでの無念の蓄積が反映してトゥルーに至る心境を形成する、というような特殊な構造質は持っていないので、扱いに困るところではありますね(笑)。
 ぶっちゃけヒロインルートがなくても物語としては成り立つつくりなので、あくまでも18禁作品としてのサービス的な意味合い程度で見ておくべきかなと思います。無論最終的な決着点と比較して考えた時に、なにが必要だったかを算定する物差しとしては有用かもですが。

★シナリオ(ネタバレ白抜き)

 ネタバレと言っても個々の具体的な展開を追いかけるとかでなく、あくまでも観念的な部分をざっくり掘り下げていく形になりますが、その過程で肉付けに個々の事象を使いたくなるかな、と思うので一応隠しておきます。

 テーマというか、メッセージ性という観点で非常に多彩、かつ奥深い作品ではあると思うので、そのあたりを適度に区切りつつ触れていきます。

@愛という感情のままならなさ

 これは前作でより広く深く掘り下げていた部分を援用している、と言っていいでしょう。
 理屈でなく誰かを愛する、という想いは制御が難しく、ましてそれが叶わないとなると余計に暴走しがちです。
 この作品における典型例としては、当然征士の静流に対する歪んだ情熱の原点に位置づけられますし、後は小夜の、涙の力によるトラウマ解消後の主人公に対する依存の原因としても作用していると考えられます。

 正当な形では辿り着き得ない、本質的に報われない愛を宿してしまった時に、最初から諦めるか、正当でない卑怯な手段を用いても繋ぎ止めようと考えるか。
 前者の場合自己愛の閉塞を、後者の場合肥大をもたらし、いずれにせよ愛のバランスを欠く結果になっていきます。この愛のバランス、という部分が、人魚姫をそうたらしめる要因になってくると私は考えていますが、その点はもう少し多角的に仮説を立てた上でまとめて考察します。

A善悪の対称性と、相性

 御覧の通りに、この作品にはかなり振れ幅の大きい正義と悪が混在しています。
 何を正義、何を悪と呼ぶべきか、その定義論まで踏み込むとキリがない話なのでそこは放置しますが、基本的にこの二つは対照的な概念として汎用的に成立しているでしょう。

 ならその二つの概念が激突した時に対等性はあるのか?と考えると、それはそうではない、と私は解釈しています。
 何故ならば、世界には正義と悪の概念がある中で、正義の側は悪のロジックや手法を用いることが出来ない、いわば世界の半分に目隠しされた状態で戦うことを余儀なくされるからです。
 或いはロジック程度は認識して対抗策を練ることは出来るかもしれませんが、少なくともそれを逆手にとって罠を仕掛けたり、正当でない手段を用いてしまえば、それは既に正義からは外れてしまうのですね。そのあたりは灯という存在が、正義の為に人殺しに手を染めてしまった流れの中で具象的に示されます。

 ポーカーだと例えにくかったのでじゃんけんにしますが、いわば正義の側は、グーチョキパーのうち、パーの使い方を知らずに、或いは許されずに戦っているようなものです。
 対して悪の側は、基本的にはその全てを理解しています。何故ならこの社会において、子供の頃から正義という観念は普通に誰しもに教え込まれるものですが、悪は特殊な条件や自己認識がない限りは、外的要因によって学ばされるものではないからです。

 勿論理解しているからと言って、それを的確に用いて攻撃の手段に昇華できるかは別問題です。
 基本物語の悪というのは、悪であってもその悪徳の全てを十全に発揮できない状況下にあって、その隙を正義の側が、正義らしい在りようのままで突けるように出来ていて、その一点突破で大団円、となるのがいわば様式美、お約束ではあります。
 しかしこの作品の悪は、きちんと正義の作法・理念を正しく認識した上で、それを崩すのにはどういう手法を用いればいいか、それを明確に理解した上で駆使してくる、それこそ分かり合う余地や取っ掛かりを見出せない、純然にして完全たる化身だ、というのは、あの征士の様を見ればあながち誇張、とは言えないでしょう。

 ともあれ言いたいのは、悪が悪として全ての手段を使える状況において、正義の側がひとりで戦いを挑んでも、相手の慢心やミス以外で勝ちを引き寄せられる理路が立たない、という事です。
 さっきのじゃんけんの例に例えれば、ずっとグーを出しておけば確実に負けない、という安全地帯を確保しつつ、様々な形で相手の信念を揺るがす指嗾を繰り返し、グーしか出せない状況、或いはチョキを出さざるを得ない状況に追い詰めてしまえばいいわけで、そういう心を揺さぶる手練手管、扇動的な言動の数々は具体的事例を挙げるまでもなく散らばっていましたね。

 じゃあそれに正義の側はどう立ち向かえばいいのか、その一つの答えとして出てくるのは、これも当たり前の事ではありますが、同じく正義の心を持つ誰かに、虚心に助けを求める、という事になるかな、と思います。
 グーとチョキしか武器がなくても、二人いればそれぞれがグー・チョキと出すことによって、最低でも痛み分けか引き分けに持ち込める計算が成り立ちますし、また自分一人では不可能だった状況を覆す手法も見出せる余地が増して、こちらが足並みを揃えて相手を敗着手に追い込む事も不可能ではなくなっていくわけですね。

B人魚姫の誕生に必要なものとは

 しかしこの、虚心に助けを求める、というのは、実のところ正義にかぶれていればいるほど難しい方法でもあったりします。
 大抵の場合、その正義は少しはき違えた解釈の中で成立していて、あくまでも周りを巻き込んではいけない、周りの人間が幸せになるならば自分が犠牲になる事は厭わない、という精神性が深く掘り込まれている場合が多いです。
 特にゆるぎのように、かつて正義を毀損されて捻じ伏せられた屈辱を胸に抱く存在は、反動的にそうなりやすいですし、後はそれ以前の根幹的なありようとして、自己愛の涵養の部分で欠損がある主人公のような存在もここに陥ってしまいやすいと言えるでしょう。

 作中ではミスリード的に、現代の人魚姫として生まれ変わるのに必要なのは純粋に他人の為に自分を犠牲に出来る心根だ、と膾炙していて、ある程度登場人物たちもそれを、実際に人魚姫に触れていく中で噛み締め、自己の矮小さ・卑小さを嘆く、という展開が多く見られます。
 ただそれは実のところ、全く的外れではないでしょうが、半分だけ正解、というものではないか、と私は考えます。

 そもそも、誰かを愛するという在り方に、これという正しさがあるのでしょうか?
 ことこの作品に関して考えるに、タイトル的にも西洋的な思想が源泉として存在する印象は強く、となると愛の作法としてまず取り上げなくてはならないのはやはり聖書的な観念になってくるでしょう。
 特にここで重要になってくるのは、いわゆる「汝を愛するがごとく隣人を愛せ」という部分です。

 この文言を正しく解釈するならば、愛とはまず前提に自己愛があり、それが十全、かつきちんと自己の中で抑制されている状態において、それと同じだけの愛を隣人にも注ぎなさい、という教えであるわけです。
 つまりそこでは、自分を愛する=隣人を愛するという等式が成り立ち、それは包括された概念として成立します。
 この作品においては、人魚姫の涙、という特殊なありよう、自分の寿命を相手に移し替えるという異能が横たわっている事で、それが一際に自己犠牲的に見えてしまい、その本質を曇らせていますが、自己と同様に愛する隣人、という枠組みの中では、それは愛の総量に変化をもたらすものではない、自己保全と同じ原理の上で成立する、と考え得るのです。

 なので私の作業仮説としては、人魚姫に至る為には、確固として揺らがない自己愛を抱き、その上で心から大切な相手を助けたいと思う事、悪意が跋扈する世界において、助け合いの中でしか人は真っ当に生きていけない事に気付き、虚心坦懐に受け止めた時にはじめて辿り着ける境地だ、という事です。

 この場合に話を難しくするのは、自己愛が決して完全な形で成立する必要はない、というところですね。
 例えば夕桜の場合は、主人公と違って今に至るまで母親の愛情を疑っていなかった、それが健全な自己愛の涵養をもたらし、そして近しく大切な相手の危機に瀕して涙が発現した、と考えられますが、そうやって真っ当な社会性の中でまともな自己愛を確立できているのはレアケースになっています。

 玖々里や紫子・紫乃の姉妹などは、生まれてすぐに極端に限定的な境遇に置かれていて、けどかえって普通の幸せ、自己愛の形成の形に一切触れていないが故に、手に出来る微かなものの中で温かなものだけを必死にかき集めて、それを自身の自己愛の形に組み上げて精神的な保全を果たしている、という文脈で理解することが出来ます。
 そして、紫乃の場合は正確にはわかりませんがおそらくは庇護者たる姉に対する暴力が契機になって、玖々里や紫子に関しては、その欠落はあれどその世界の中では純然たる自己愛に、大切な相手の死という現実が付与された事で、人魚姫覚醒の契機になったという読み解きが出来ると思います。

 このあたりは、逆に人魚姫になれなかった面々の推移を見ていくとよりわかりやすく考えられます。
 特に小夜と夕桜の差異に関しては、この場で戯れに与えられた立場の違いが決定的な訴因になっているように思えます。
 少なくとも宗明の真っ当な愛情を受けて育ってきた小夜は、触れ合う機会が少なかったとはいえ誘拐以前から主人公に対して淡くも特別な感情を抱いていて、もしかすると夕桜の様に立ち回れる役割であれば、人魚姫に開眼する可能性を秘めていたかもしれません。
 しかしここで、最大限に無力な立場に置かれ、ほとんどが難癖ではあれ、延々と自己の否を論われることで、主人公達よりも強い罪悪感を抱くことになっていきます。

 いわゆる正義心の発露の一形態として、純然たる悪を憎む以上に自己を責める、というのは普通に起こり得るものです。例えば同じ事故に遭いながら、自分だけ生き残ってしまった人が抱える後ろめたさ、的なものですね。
 少なくとも揺りかご事件の被害者三人は、征士が絶対悪と理屈でわかっていても、自分がもっとなんとかできたのではないか、という罪悪感から逃れることは出来ず、特に当時においては一番何も出来ず、ただ主人公に危害が加えられるのを自分のせいだと言い含められることで、小夜は大切な人を助けたい、という、自己愛から現出する切なる想いよりも、その罪悪感と諦念の方を先に強く育ててしまったのでしょう。
 その意味では征士の目論見は失敗であり、夕桜が人魚姫を発現している皮肉も含めて、奴が綿密に考えて物事を実行しているわけではない証左にもなっているわけですね。

 ともあれ、いわばそこで自己愛に歪を作ってしまった事、かつトラウマの解消後は逆に愛情面で自己愛を肥大されてしまった事が重なって、表層的には人魚姫に親和的な存在と考え得る小夜は、結局その境地には至れなかったと見做すことが出来るのです。
 ゆるぎや灯などはもっと淡泊に、正義の挫折という経緯を経ての尖鋭化、屈折化によって、自己愛のバランスを欠いてしまったと言えるでしょう。
 とりわけ常識的な解釈として、人魚姫は自己犠牲の塊だ、と思っていればこそ、よりストイックに自分をその境地に追い込もうとして、結果的に本来的な人魚姫から乖離していくわけですね。

 この作品ではそもそも、人魚姫という呪いによってもたらされた特殊能力を理論的に解明できる素地を置いていませんので、ひとたび人魚姫になったものが、その後人間に戻る事はあるのか?という疑問を明確には規定できません。
 ただ概略的、かつ傍証的にでいいなら、紅葉という自己犠牲を忘れて暗躍する悪の存在と、そして玖々里が愛を知り、一般的な自己愛の在り方に触れてバランスを崩してもなおその立場に留まっていられることを踏まえれば、それは不可逆的な進化、と考えていいのでしょう。

 ともあれ、人魚姫になるのに必要なのはバランスの取れた自己愛と、純粋に近しい大切な相手を助けたい、救いたいと思える精神性とシチュエーションの確立、と定義できると考えます。
 その文脈で紅葉の行動理念は裏付けできますし、そしてそう考えると、あの土壇場で主人公が開眼できた理由にも繋がっていきます。

 あの玖々里と夕桜の二択に至るまでの主人公は、小夜と似たような加害者観念を拗らせて、自己愛が極端に閉塞している憐れな存在でした。
 そうであるがゆえに人に頼ることを知らず、そして同じ血を引く、という事実をちゃんとわかっている存在なればこそ、無意識的に夕桜を共犯者的な立ち位置に強制的に押し込めてしまっています。
 本来均質な自己愛の持ち主であるはずの夕桜が、この窮地の中で自己犠牲を選ぶのも、その主人公の観念の押し付けに対し殉じた故の作法であり、そうさせてしまった事は主人公の一番の失敗だったと感じます。

 そして、あの波止場での選択に至る刹那において、自分が一方的な自己犠牲の精神を夕桜にも押し付けていた事実を知り、自分がそうさせてしまった事を感情でしっかり理解した事で、そこではじめて、主人公自身の想いが問われることになっています。
 そこで犠牲を看過してしまう事は、無論主人公の意に適う結末ではなく、それは言い換えれば自己愛に対して背を背けた道、と言う事になります。だからこそこちらでは、人魚姫としての性質が発露する可能性も根源的に断たれてしまうわけです。

 対してここで、自分の気持ちに正直に、真っ直ぐに、諦めない、諦めたくないという気持ちを確認すること、そして自分にとって何が大切かを再確認し、それを護る為ならどんな手段もいとわないと割り切ることで、ようやく閉塞・萎縮させ続けてきた自己愛に向き合うことが出来たと定義が出来て。
 そうであればこそ、今まで禁忌的手段と考えていた他者への助力の請願も、そして根源的な諸悪の根源に対しての処断などが可能になり、かつそのバランスの中で、かつて自分が助けられたという事実を梃に、紫子の今に対して過去の一切の因縁を振り払っての憐れみ、助けたいという意思を発現できたと見做せるでしょう。


★シナリオ総括

 以上、ネタバレで触れたように、思想的な部分ではきちんと筋道の通った、強いメッセージ性を孕む作品であると解釈できますし、そこに面白さを見出せるとは思います。
 ただとにかくわかりにくさは多分に含まれていて、表面的な事象を追いかけるだけだと辻褄が合っているのかが非常に見えにくくて、その上に度の過ぎた悪の跋扈が目立つため、読み口としてスッキリ、という感じにはどうしてもなりません。

 エンタメ的なギミックとしても紙の上ほどのインパクトやカタルシスはなかったですし、ギャンブルを人生の縮図と見立てて、その上でその不条理をも真っ直ぐ受け止めて生きていく強さを涵養していく理路としては万全でも、とは思ってしまいますね。
 総合的に、折角の奥深さと盛り上がりを、全体構造のわかりにくさと重苦しさで少なからず毀損してしまっていて、それでも、と言えるほどの突き抜けた面白さに至るまでにはならなかった、と思うので、点数的にはこのあたりかな、と考えます。

キャラ(19/20)

★全体評価

 どうしてもテーマ的に人間そのものの根源的なありようが主体になる部分が多いために、個々のヒロインに対する掘り下げなどもその派生的な部分でしか行われず、ヒロインを愛でる、という観点においては前作よりも更に間口が狭いな、と感じました。
 かつ前作はまだ結果論的な悪意、という匙加減があったものを、今回はその制約を取っ払ってかなり尖鋭的な悪の在り方を追求しているので、基本性善説信者の私としてはどうしても辛いものは、ここまでやらんでも、って想いはありましたね。

 そのあたり加味して考えると、キャラクターを愉しむという観点ではもう一歩足りなかったなぁと思います。

★NO,1!イチオシ!

 これはまあ玖々里一択ですね。
 どうしても生まれ育ちの関係で色々と欠落しているし、素直になり切れなくてツンツンしてるけど本当は、って部分がわかりやすく滲んでいて、物語全体の立ち位置としても存在感はありましたし、一々可愛くて愛らしくて、守ってあげたいと切に思えるヒロインに仕上がっていたと思います。

★NO,2〜

 ゆるぎなんかはいかにも正義心に満ち溢れた猪武者、って感じで、そのネアカさがなんとなくかなたを彷彿とさせているものはあったけれど、結果的に物語としては脇役でしかあれなかったし、無論そこそこに見せ場はありましたけどヒロインとしても一番まともに恋してる、という点も踏まえて、もう一歩奥行き、意外性は欲しかったなと。
 夕桜もこの振れ幅の広いキャラ性とCVのマッチングが素晴らしかったですし、本来的には一番安定している存在でありながらも抗せざるを得ない悲しみは強く伝わってきて、幸せになって欲しい子ではありましたね。

 小夜も嫌いではないけれど、周りがちやほやして積極的に守るほどのなにかがあるのか、という疑問は最初から付き纏っていて、結果的にその違和感は正しかったのかなとも。
 少なくとも今に至る状況は、この子の卑怯な擬態がもたらした、と言えなくもなく、それが罪の意識、トラウマによって必然的に、ならともかく、きちんと治癒され払拭されてなお、と思うと、個人的にはうーん、となるところは多いですね。

 そして祈吏はなんていうか、とことんピエロではありますよね。
 自己存在の根源にどんな犠牲があったかは知ることなくああいう立ち振る舞いを求められる、せざるを得ないのは悲しいところですし、しかしヒロインルートに進んだ際の主人公もその括りでは同質的なので、色んな意味で滑稽ではあります。
 この、男として育ち、途中から女としての意識も包括してというアンバランスな危うさが魅力的でもあるとは思いますが、もう少しいい使い方をしてあげて欲しかったです。

 そして和奏ルートを寄越せー!
 あとロリババアルートも寄越せー!
 特に紅葉はラストがああですから、その後にそういう未来は、ってのは考え得るのですけどね。まあこの流れの中だと同族意識が恋愛観の醸成にも一番強く寄与しそうですし、玖々里の目が黒い内は、って感じもなくはないんですけれど。その意味でも玖々里はメインヒロインではあるんですよね。


CG(16/20)

★全体評価

 率直に言うと、あれ?一枚絵こんなに崩れてたっけ?ってのはあります。
 紙の上はもうちょっと輪郭などしっかりしてたし、可愛さも強く出ていて、まあこれはキャラゲーではないよ、って意味合いでの妖しさ、扇情的なイメージを強く出すために敢えて、なのかもしれないですが、見ていて前作程これは可愛い!と思えなかったのは純粋に残念です。まだ立ち絵はそれなりと思うんですけどね。

★立ち絵

 ポーズはヒロインで2種類、サブで1種類。
 量自体も少ないし、特に質の面でも特別感は強くなく、あまり印象に残らない感じでしたね。
 お気に入りは玖々里正面、やや左、ゆるぎやや左、夕桜正面、和奏正面、紅葉やや左あたりです。

 服飾もヒロインで3〜4種類、サブで1〜2種類とそんなに多くはないですね。
 勿論話の中で必要な分は確保していますし、デザイン的にも悪くないですが、突き抜けて素晴らしい、とまでは思えるところはなかったなぁと。
 お気に入りは玖々里制服、私服、裸Yシャツ、ゆるぎ制服、夕桜パジャマ、制服、紅葉私服あたりですね。

 表情差分も特に遊びはなく、細やかさや奥深さもあんまり感じられなかったかなぁと。とりわけ、基本的に作品全体的に快活さは薄く、みんな痛々しい顔ばかり目立ってしまうのがなんとも、ですね。
 お気に入りは玖々里笑顔、不満、拗ね、からかい、怒り、照れ目逸らし、ゆるぎ驚き、笑顔、照れ笑い、怒り、夕桜ニヤリ、拗ね、哀しみ、紅葉ニタリ、冷酷、溜め息あたりですかね。

★1枚絵

 全部で92枚と、量的には水準を確保しています。
 ただ上でも触れたように、こんな目の描き方だったっけ?とか、ボディパーツのバランスの悪さとかが結構頻繁に目立ってて、立ち絵との印象面での違和感もあったしうーん、と。
 紙の上も安定感はなかったですけど、それでもこれは可愛いっ!って強く感じるものは結構あったと思うので、それに比べると物足りなさが募りますね。

 お気に入りはゆるぎポーカー、小夜ディーラー、玖々里との出会い、紅葉、玖々里抱きしめ、看病、涙、対峙、正体は、囚われの玖々里、祈吏の激高、登校、水族館、告白、抱きしめ、糾弾、花火、紅葉との対決、涙、玖々里正常位、対面座位、バック、夕桜愛撫、バック、正常位、ゆるぎ背面屈曲位、フェラ、正常位、幼きゆるぎ、かつての玖々里あたりですね。


BGM(17/20)

★全体評価

 量的には今回も物足りないのですが、幻想的で退廃的な世界観にスッと沈み込むような味わいのある曲が用意されていて、質の面では中々良かったと思いますね。

★ボーカル曲

 OPの『アズライトの棺』は中々に名曲ですね。非常に情緒や郷愁に満ちた旋律、ボーカル、サビの盛り上がりやイントロの走り具合など、綜合的なバランスが高くメロディラインも荘厳で美しく、これはかなり好きですね。ただボーカルトラック特典がないとまともに聞く機会がない、音楽鑑賞にも入ってないのはちっょと不親切な所。
 そしてEDは今回もなし。うーん。

★BGM

 全部で23曲と、量的にはもう一息ですね。ただ質は悪くないですし、水の都らしい流麗さが目立っていて結構好きです。
 お気に入りは『長閑なひと時』『静けさの中で』『喧騒に揺られて』『天真爛漫』『海底少女』『禁忌の箱』『勇気と共に』『悲愴』『深淵の果てへ』『糸』『享楽の魔女』『届かぬ思い』あたりですね。


システム(6/10)

★演出

 正直かなり粗雑で、前作以上にこの面での底上げがない分わかりにくさ、混迷を極めている感は強いです。
 あちこちに視座が切り替わるくせにワイプ演出すらもないし、無論キャラも動かない、情感的な部分は最低限担保していますけど全体的に深みをもたらすような作用は少なく、ムービーも悪くはないけど総合的にはまるで足りない、という感じが否めないところです。
 やっぱりせめてもう少し丁寧なアイキャッチの投入は欲しいですし、EDクレジットすらないのもなんともお粗末と言うか余韻が台無しと言うかで、前作はまだデビュー作だし、と言えたけれど、今回はそこでの反響も受けてこうだというなら確信犯だなぁ、と評価を落とさざるを得ないですね。

★システム

 こちらも必要最低限もちょっと危うい感じはありますね。
 結構話が長くてルートロックもあるのにスキップは遅め、ジャンプもないだとプレイ感としてもどかしいですし、操作性としてもあまり便利ではなく。
 あとやっぱりデバックの雑さが目立ち過ぎていて、誤字脱字もそうですし、立ち絵キャラ指定とかも盛大に間違えてる、画面と文章が乖離しているなんてのはザラにあるので、これで完成、と言われてもうーん、と考えてしまいますね。本当に無理くり決算期に合わせてきた感が否めない…………。


総合(81/100)

 総プレイ時間25時間くらい。共通が9時間、そこから個別がそれぞれの二者分岐で2時間ずつ、個別自体は1時間ずつくらいの短さで、後はトゥルーがバッド含めて8時間くらいですね。
 尺の取り方から見てもわかるように、本当にヒロインルートは脱落してのおまけ程度で、共通からの一本道でのエンドが全て、と言っても過言でないつくりではあります。

 文章量的にはかなり多く、展開も濃密重厚で楽しめる部分、どんどん先を読み進めたくなる感覚は確かにあるのですが、折角のそれを総合的な部分がかなり台無しにしてしまっているのがつくづく勿体無い限りです。
 特に演出の薄さ、区切りのわかりにくさや、一般的なルールを逸脱した奔放な視点キャラの渡りなど、トリックやギミックと言うにはやや卑怯なつくりの中でわかりにくさを加速させているので、非常に読み解きに困難を極めます。

 その辺は前作もそうでしたが、今回はそれでも、と言えるだけの突き抜けたカタルシスにまでは至っていない感じは強く、光る部分は多々あるのですけどそれ以上に弊害が強いので、正直素直におススメです、とは口が裂けても言えないなぁ、とは感じます。
 紙の上をプレイしていて、あれをギリギリ許容できる、ではなくこういうくねくねしたのが好き、って前向きにとらえられる人なら平気かな、と思いますし、後は悪の理念に対して耐性が強い人、こういう言い方はなんですが、多種多様な悲劇の観察に愉しみを見出せる性格の悪い人(笑)なら、そのあたりでシンパシーして楽しめる余地もあるのかな、と感じました。

 私個人としては、ここまで振り切れてしまっているとちょっときついなぁ、というのは正直ありましたし、それを乗り越えてのカタルシス的な面でもちょっと足りなく感じたので、次があるとして無条件で手を出すかはちよっと考えたい、とは思いましたね。無論すごく面白く感じた面もあったのでなんとも複雑なんですけどねー。
posted by クローバー at 13:40| Comment(0) | 感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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